H28.9.1
先日、高校生ぐらいの女の子と、その子の母親と見られる親子連れが会話をしながら歩いていました。
立ち聞きしていたわけではないのですが、話の内容が聞こえてきました。
すると、その母親が、娘に向かいこのようなことを話していたのです。
「将来、介護の仕事だけはしないようにしないとダメよ。大変なだけだから。」
私は、驚きとショックで愕然としました。
しかし、これが現実なのでしょうか。
今、介護業界では、人手不足が深刻な問題になっています。
もちろん私もそれは十分に感じています。
何が、そうさせているのか。どうしてそのような事態に陥らせているのか。
真剣に打開策を考えていかなければなりません。
H28.2.15
私も以前は、葬儀業界に長いこと従事していたので、葬儀業界のことも未だ気になる。
現在葬儀業界は、いろんな意味で分裂を繰り返しているのではないか。
葬儀業界とひとくくりにはもう出来ない。方向性の違いや、求めるもの、こだわり、追及しているところがはっきりと違う。
豪華な飾り、演出、音楽、映像、料理、会葬品などを追及し、他社との差別化を図り、お客の獲得を目指しているところ。
かたや、お客はそのようなものは求めていないと、徹底して安さを追及し、安く提供しようとしているところ。
はたからみれば、どっちも大いに結構かと思う。それぞれを追求していただき、それをお客が選ぶ。
しかし、現実は少しゆがんできている。葬儀社が葬儀社を批判中傷し、互いが互いを攻撃し合っている。
ビジネスの世界ではもちろん当たり前で、きれいごとなど言ってられないし、生き残りをかけた戦いなのかもしれないが、
原点回帰も決して忘れないでいただきたい。
企業同士では戦っているのかもしれないが、そのすぐそばには、故人がいて、その死を悲しんでいる遺族がいることを。
心が寄り添う場所であることを。
葬儀を扱う企業であるのであれば、心をもっと大事にしていただきたい。
売り上げ、占有率、会員数、いろんな争いがあり、現在は、遺骨の取り合いまで起こっている。
なんか悲しくなってくる。
しかし私も、葬儀業界にいたときは同じだった。どうしたら葬儀件数が増えるのか、法事は取れるのか、
仏具は売れるのか、他に無いものを生み出すよいアイデアはないのか、安さを求めたがいいのか、それとも豪華さを求めたがよいのか。
今その時の自分を今の自分がみると、「死」という「点」としか接していなかったように思う。
死とは決して点ではない。生まれてきていろんな人生を経てその先に死があり、死にはまだ続きもある。
現在、介護の現場を目の当たりにして、葬儀業界に言いたいことは、
企業の生き残りをかけた戦いをする時間があるのであれば、まだ命がある介護の現場にぜひ力を人を貸して欲しい。
H28.2.4
連日、清原和博の報道が続いている。私はファンだっただけに残念で仕方が無い。
彼を何がそうさせ、追い込んでいったのか。
覚醒剤。名前のとおり人を覚醒し変えてしまう。
本当に恐ろしい。一日も早く立ち直っていただき、またカッコいい姿をみんなに見せて欲しいものだ。
H28.1.20
本日の読売新聞の1面に、厚生労働省は介護保険制度で「要介護1,2」と認定された軽度者向けサービスを大幅に見直す方針を固めたとある。
具体的には、調理・買い物といった生活援助サービスを保険の給付対象から外すことを検討しているのだという。
膨らみ続ける社会保障費を抑える目的や、限られた人材を手厚い介護が必要な中重度者に集中させたいといった人材不足の対策を考えてのようだ。
介護保険を利用している方の中には、介護保険制度の理念がわからず、ヘルパーなどを家政婦のように指示をされる方も中にはいる。
そのような方には、理解を求めるが理解していただけるのが難しい。
しかし今後は、そのような方は費用を自己負担し、自分の希望通り行ってくれる家事代行サービスに依頼するしかなくなっていく。
それが嫌なら、これまで通り自分で家事を行うしかない。
介護保険制度のサービスを理解し、制度で定めるサービスを受けるか、費用を自己負担しながら好きなようにサービスを受けるか、
二つにはっきり分かれていくのは明確である。
介護保険のサービス内容の縮小が始まった今、後者を選ばざるを得ない方が増加していくであろう。
よって、老後の為にしっかり資産を増やしていくか、いつまでも健康な体作りを行うか今のうちから対策をとっておく必要があるようだ。
H28.1.19
昨晩、SMAPの会見があっていた。一人ずつ謝罪のコメントを話していたが、SMAPの一人としての謝罪しか口に出来ていないように見え、非常に可哀想に感じた。個としての気持ちはやはり口にしてはいけないのであろう。
社会にはそれぞれの立場があり、その立場になってみないと分からないこともたくさんある。
学生には学生の、アルバイトにはアルバイトの、パートにはパートの、正社員には正社員の、経営者には経営者の、そして有名人には有名人の。
きりが無いが、相手の立場に立って物事を考えるのは非常に難しい。
私も、決して得意の方ではない。
相手の立場の気持ちを考えることが出来るようになったとき、その時初めて自分のことも見えるのではないだろうか。
まあ、一度は国民的スターになってみたいものだが。
H28.1.12
先日、ジャーナリストの竹田圭吾さんがお亡くなりになられました。
まだ51歳という若さで非常に悲しく残念に思います。心からご冥福をお祈りいたします。
私たちは、必ず死にます。人間の死亡する確率は100%で、死から人間は逃げることが出来ません。
だからこそ、生を大事にし、今を行きなければならないのです。
今年に入り、相次いで自殺の報道が流れています。
もちろん、自殺した人々にとっては生きていけないほどの大きな問題や悩みがあり、自ら命を絶ったのでしょう。
ですから、そのような人々を私は批判するつもりは全くありません。
しかし、竹田さんは、あるいは生きたくて生きたくてしょうがないのに亡くなっていった人々は、自殺をして亡くなっていった人々の
命がほしかっただろうと思います。生きたくないのなら、その命いらないのなら、その命私にちょうだいと、言いたかったのではないかと思います。
本当に寿命が運命で決められているのか、私は分かりませんが、今ある命を大切にし、今を生きていこうではありませんか。
「命」とは誰かの為に、何かをする時間のことだと私も思います。
H27.12.28
先日、読売新聞に依頼者らの財産を着服したり、だまし取ったりした弁護士が過去3年間で23人起訴され、被害総額は20億円超に上がることが調査でわかったとあった。
その23人のうち9人は成年後見人であったという。
福岡家庭裁判所は任意後見人をあまり認めようとしない。ほとんどが法定後見人の弁護士などを後見人として認めている。しかし今回のこのあり様はどうだ。
弁護士だからといって信用できなくる。では誰を信用したらいいのだろうか。
ますます成年後見制度の必要性まで問われるのではないか本当に心配である。
H27.12.14
ご夫婦二人暮らしだった方で、先日ご主人を亡くされたご婦人から連絡が入った。
一人きりになり、今まではご主人がやってくれていたような家仕事ができなくなったとの事だった。
自分では重いものなど片付けることなどできない。ごもっともである。
まわりに頼める人などいない。助けを求めていた。
私の方で片付けると大変喜んで頂けた。このようなことはこのご婦人だけではなく大勢いるはずである。
しかしこのようなサポートは介護保険では認められてはいない。最近税制問題でよく聞く「線引き」。
介護保険制度でも「線引き」は難しい。
今後も困っていることがあったら、何でも連絡してもらいたい。そのために想庵はあるのだから。
H27.12.8
共働きが当たり前のようになって来ている昨今、女性の社会での活躍が目立つ。そんな中、家事を行える時間が減っているのが実情ではないか。もちろん夫婦間でしっかりと話し合い家事も分担できれば何の問題も無いのだろうが、実情はそうではないようだ。
そんな中、若い主婦の中にも家事代行サービスを利用する方が増加している。
家事を行う時間が取れず、そのため夫婦間での言い争いが増える。そうなるのであれば家のことはプロに任せようということである。
ご高齢の方はこのような現実を不思議に思うのかもしれないが、現代の生き抜く術のひとつと理解してほしいものだ。
想庵も家事代行サービスを行っている。ぜひ女性が社会で更なる活躍を行っていただくためにも利用してもらいたい。
H27.12.1
マイナンバーの通知カードが私のところにもようやく届いた。内容を確認すると個人番号カードを交付申請するよう案内がある。
私はスマートフォンで申請しようかと考えている。
高齢者の方にマイナンバーの話をしても全く興味が無いし、ただただ面倒だと口にしている。確かにそうなのかもしれない。
通知カードが届いたからといって、内容を確認しないなんてことは当たり前である。
ましてや個人番号カードを交付申請する人は一握りなのかもしれない。
しかし、社会はそのようなことは関係なく制度化されたことは進んでいく。誰を基準に物事を考えているのかわからないがこのマイナンバー制度も確立していくであろう。
しっかりと社会の動きを把握し、まわりに取り残されそうな方がいたら声を掛けていきたいものだ。
H27.11.27
戦前・戦後を生き抜いてきた高齢者は、死に物狂いで必死に生きてきた。自分は最後まで自分の力で生き抜いてみせると非常に力強い。先日知り合った高齢者の男性もその一人だ。戦時中も戦後の険しい時代も必死に生きてきたという。
その男性も今や年齢を重ね、体が思うように動かなくなり、不安な気持ちが生まれてきたとの事だった。
しかし、最後まで国や地方の世話にはなりたくない、だから介護保険を利用したくないという意向であった。
国や地方の世話になりたくないことが介護保険を利用しないこととイコールであるかは疑問に感じたが、その気持ちを貫きたいのであれば全力でサポートしたいと思う。
想庵は介護保険を利用しない方にも、家事お手伝いサービスや、身の回りのお世話、身体介護など支援させていただいている。
介護保険を利用したほうが、国の負担がある分費用に関しては利用者にとってメリットが大きい。
しかし、サポートできる内容に縛りが大きく、サービス内容に満足できない場合があるというデメリットもある。
介護保険を利用しないことは、全額自己負担になるので、費用に関してはデメリットが大きい。
しかし、サポート内容に関しては、自分が望むことをほぼ行ってくれるというメリットもある。
サービス内容の満足をとるか、費用負担額をとるかである。よく判断していただきたい。
H27.11.18
介護サービスの中に調理支援というものがある。一見ただ調理を行うだけに思われがちであるが、この調理支援は非常に神経を使い難しい支援のひとつだ。
巷にある飲食店は、「これがうちの料理です」とばかりに独自の味を追求し、その料理で勝負が出来る。そしてその料理に対し評価が下され対価が支払われている。
しかし、ヘルパーの調理支援は内容が異なる。利用者のお宅の冷蔵庫の中身を使って、何を作るかを瞬時に決め、利用者の好みの味と健康に合わせた料理を作らないといけない。もちろん作る時間も決められている。
またその料理に対価が決められるわけではなく、作ったヘルパーのスキルを問われヘルパーに対して評価が下される。
そしてそのヘルパーが所属している事業所が評価される。
ヘルパーの評価が悪ければ、担当ヘルパーを代えさせられたり、事業所そのものを代えさせられることもある。
非常にシビアな世界だ。しかしその中でも日々努力を惜しまず、利用者のために業務に勤しんでいるヘルパーがたくさんいることもまた事実だ。しかしヘルパーの業務は自宅での仕事になるため仕事が見えづらいということもあり評価がされにくい。
ヘルパーのスキルをしっかりと把握し、努力を重ね続けているヘルパーに対しては正当な評価を与える体制作りが必須である。
H27.11.12
介護サービスを利用すると1割の負担を利用者が支払うことになっている。しかし現在その1割を支払っていくことが困難で介護サービスを利用したくても利用できずにいる方は少なくない。そのことは以前にもこのコラムでも話した。私は高齢者のお役に立ちたくて介護事業を始めたが、サービスを受けるように至らないとお役に立ちたくても立てない。
生活保護受給者は、1割を生活保護から賄っているので負担がない。よって自己負担額の支払いがある生活保護受給者でない方より、自己負担額の支払いがない生活保護受給者の方が介護サービスをより多く受けている現実もある。そこに矛盾を感じてしまう。
そこで私は、利用者の1割負担を事業所で負担しようとした。もちろんそれは事業所としては苦しい選択だ。しかしそうすることで自己負担を気にすることなく介護サービスを受けることができる。だがその行為は、不当な割引に当たるとして禁止されているのである。そこにも矛盾を感じてしまう。
なんのための制度で誰の為の制度なのか。このままが続けば介護サービスを受けることが出来るのは、一部の特定の人だけになっていくのではないのか。
H27.11.9
安倍首相は6日講演会を行い、その中で、少子高齢化対策並びに介護離職ゼロ問題について語った。
日本における少子高齢化問題は海外の投資家からも注目されており、日本が少子高齢化問題に死に物狂いで取り組まない限り日本への投資は期待できないとしている。少子高齢化に歯止めをかけることは単なる社会政策ではなく、究極の成長戦略なのだ。
人口の1億人を維持することが明確な目標であろう。
介護離職ゼロの実現に対して、在宅介護の負担軽減、介護施設整備の加速を実現化したいと述べられているが、受け入れる箱作りより介護職員作りに尽力していくべきだ。箱はそのあとでよい。
H27.11.6
ひと昔前までは高齢者に限らず、多くの方がこぞって冠婚葬祭互助会の会員になり積み立てを行っていた。
しかし時代が変わり、葬儀にお金をかけないというのが一般化し、互助会などに積み立てをする方が激減している。
それどころか解約が急増している。
そこで問題になっているのが解約時に発生する手数料だ。
解約手数料が高過ぎるとして、NPO法人消費者支援機構福岡が冠婚葬祭大手日本セレモニーに解約金条項の使用差し止めを求めた訴訟の控訴審判決が5日福岡高裁であった。
解約手数料の額は消費者契約法上、違法性は認められないと判断し、条項の使用差し止めを命じた1審判決を取り消し、NPO側の訴えを退ける結果となった。がしかし、このような裁判は今後も増加していくのであろう。
このような末路にならないためにはどのようにしておけばよかったのだろうか。
やはり入会時の場面がもっとも重要である。入会させる側も約款をきちんと説明しているかというとみんながみんなではないしても説明していない。それに対して入会する側も説明をきちんと聞かなくても判子を押している。
どっちもどっちである。このような裁判に至らないためにも入会時の契約は慎重にしたいものだ。
H27.11.1
高齢者の運転事故があとを絶たない。先日は宮崎市で軽乗用車が歩道を暴走し、通行人ら7人が死傷した。続いて昨日は愛知県でワゴン車が和菓子店に突っ込みこちらも7人重軽傷を負った。
ブレーキとアクセルを踏み間違えたという理由は本当によく聞くし、宮崎市の事故に於いては認知症が原因というではないか。
全ての高齢者にハンドルを握らせるのを禁止すべきであるとは決して言えないが、ハンドルを握る以上は、きちんと責任を背負っていただきたい。自分ひとりの問題ではない。事故に巻き込まれた人々の人生を狂わせることだけは決してあってはいけない。
一刻も早く対処すべき問題である。
H27.10.31
中国は、人口抑制策を緩和して1979年以来続く「一人っ子政策」を廃止し、全ての夫婦に2人まで子供を持つことを認める決定を行った。これは、労働人口の減少による経済失速と、急激な高齢化による社会保障費負担の増加が懸念されるためだ。
中国は、わが国日本が抱える高齢化問題よりもはるかに深刻だろう。このまま一人っ子政策を続けていて今後中国は高齢化問題の秘策でも持っているのかと疑問視していた。そんなときに今回の決定が発表された。妥当であろう。むしろもっと早く決定すべきであったはずだ。
日本の介護保険制度の内容を見直し、少子高齢化社会の打開策を打ち出すことが出来れば、中国をも救うことができるであろう。
もっとスピードをあげて検討すべきものである。
H27.10.29
今年の4月介護報酬の見直しがあり、介護報酬の削減が行われた。介護の事業は公費から賄われている為、料金設定は介護事業者が各事業者で決めているのではなく法律で決められている。言い換えれば事業者側の売り上げも法律で決められているようなものだ。介護報酬が削減されたことによって閉鎖に追い込まれた事業所は少なくない。
介護事業者も生き残りをかけた戦いが日々行われている。しかし、このようなことが続くと需要と供給のバランスが崩れるのは目に見えている。利用者の増加は加速していく。事業者の減少も加速していく。このようなことでいいのだろうか。
ただ、今後事業者の介護報酬が増えるということはないだろう。であれば事業者も会社の売り上げイコール介護報酬というスタンスは直ちに改善しないといけない。あくまで介護報酬は会社の売り上げの一部と考えるべきだ。
これからはもっと介護事業から介護ビジネスへと移行すべきである。ビジネスに移行していくことへの懸念を口にするものもいるが、ビジネスにし事業所同士が競い合う環境を確立させ、事業所の色を出し、差別化を進め、利用者が事業者を指名するようになるべきである。そうなることで、サービスの向上が必須になり企業努力が生まれるのではないだろうか。
もちろんビジネスになることでのさまざまな危険性も考えられる。第三者が正当な目でブレーキをかけることが出来る環境を整えることも必要になるであろう。
とにかく介護業界、問題点・改善点が山積みであるが変えないといけないことだけは明らかである。
H27.10.27
政府は、高齢者の自立した生活を可能にするといった機能を持つ介護ロボットの開発を支援する拠点を、2016年度に全国で10ヶ所程度設ける方針を固めたと言っている。
実際、介護事業を開始するにあたってまず直面した問題が人員不足であった。確かに介護業界は人員不足である。
介護を受ける側の増加は加速していくが、介護を支援する側は一向に増加しない。むしろ減少していくのではないかとさへ懸念される。やはり将来的にはロボットに頼らざるを得ないのか。どこか心苦しいようにも思われて仕方がない。
ロボットと人間の共存。夢のような話だ。しかし実現化に進んで行くであろう。
介護には心が必要である。心を持つ。ロボットが心を持つ。大きく難しい課題ではあるがそれが可能であれば、介護業界心強いパートナーになっていくだろう。
H27.10.25
本日の新聞で、最近は男性が家族の介護を行っているケースが増加していると記事にあった。非常に現在の社会情勢を現している。
まず、少子化問題。少子化で子供が一人などというのは当たり前になってきている。兄妹がいない。よってその一人の子が親をひとりでみる。その子が男性であるのであれば、当然男性が介護ということになる。次に、考えられるのは、結婚をする人口の減少。
結婚に対して価値を見出せず、生涯ひとりで過ごす人が急増している。ここで少子化問題と重なり、結婚しない兄妹がいない男性が親の介護に入るようになる。男性が介護に入ることは決していけないことではない。しかしながら女性のような細やかなお世話ができるよう今後は男性も家事や、身体のお世話をしっかり学ぶ必要がある。
また、男性は特に自分の家のことは自分でなんとかしないといけない、という責任感が目立つ。結果、誰にもSOSを出さない。そのため虐待などの方向に進むケースが多いのである。ひとりですべてを抱え込まず、堂々とSOSを出してもらいたい。それを察知しお手伝いする機関・事業者は沢山あることをわかっておいてもらいたい。
H27.10.22
介護利用者のご家族から、葬儀のご相談を受けることがある。やはり、ご家族は心配のようだ。今現在を考え介護を受ける。介護利用者を支えるため、または自分たちを支えるため。その両方ももちろんある。だから介護を受けている。
長く生きてほしい。いつまでも元気にしていてほしい。みなそう思っている。
しかし、誰もが必ず終焉を迎える。どんな人でも死を受け入れないといけない。
そのときにどれだけ心の準備ができているのか、それは極めて重要なことである。
考えたくもない、準備なんてとんでもない。そう思う時代ではなくなっている。
前もって死と向き合い、自分の人生を見つめ直し、限られた時間を精一杯生き抜いていこう。
「命とは誰かの為に何かをした時間」のことを言うと思う。限られた時間。みなさんは誰かのために使っていますか?
命の使い道。あなたの大切な人と一緒に考えてみてください。
H27.10.20
高齢者を支えていく制度に、成年後見制度というものがある。介護保険制度ほど知られてはいないが、実は介護保険制度とともに平成12年4月から施行されており、介護保険制度と同時に施行されている。いわば介護保険制度と成年後見制度は両輪として進んできた。しかし成年後見制度の内容を把握している人は少ない。
この制度の主な利用者は認知症高齢者、知的障害者、精神障害者、高次脳機能障害者などになる。大まかに言うと、介護保険制度は身体のサポート、成年後見制度は知能のサポートというところか。
成年後見制度は、大きく分けると法定後見制度と任意後見制度の2つになるが、一般的に法定後見制度が知られている。
しかし、この制度は任意後見制度が普及しないと制度の本質が発揮しないのではないかと思っている。
なぜ私がそう思うのか、みなさんもこの制度を一度学ぶと良い。きっと同じ考えになるであろう。
任意後見人がただ増えるだけではダメである。しっかりとこの制度を学び、スキルを高めそして初めて任意後見人になってもらいたい。しかし、ここまでする人がまだまだ少ないのが現状だ。だから法定後見制度しか知られていないのである。
これから高齢化問題だけではなく、少子化問題に対応していくためにもこの成年後見制度を適正に普及していきたいものだ。
H27,10,19
助けが欲しい。誰かの助けが欲しい。毎日私の生活を助けてくれ。そう思っている人は少なくない。もちろんそれは高齢者だけではなく若い方の中にも大勢いる。また介護が必要だからそう思う人もいれば、家族の介護を毎日おこなっているからそう思う人もいる。
豊かな国、日本。そう見えているのはほんの一握りの国民だけなのかもしれない。
私は介護を必要としている方と話しをする機会が多い。その中には、介護を受けるにはどれくらい費用がかかるのか心配し、本当にして欲しいこと、必要としていることを話せないでいる人もいる。また、費用が自分の考えている範囲を超えてしまうため介護を受けないと諦めてしまう人さえいる。
もちろん利用者は1割負担。しかしその1割負担が払っていけない。そのような人は大勢いる。
そのような人たちはどうしたら救われるのか。見捨てられてしまうのか。どうにかしないといけないのはあきらかである。
今年の8月から介護利用料が一部の人に限って2割の負担になった。
そのことにより、負担が増えるのをただ我慢するか、利用頻度を少なくするか判断を迫られた人は少なくないだろう。
何のための介護保険制度か、誰の為の介護保険制度なのか原点に返り考え直したいものだ。
想庵は、ありがたいことに多くの方からいろんなお声をいただいております。多くの方のお世話に携わらせていただいております。
みなさんも心の声を私たちに届けてください。全力でお役に立ちたいと思っています。必要になりたいと思っております。
H27.10.18
糟屋郡篠栗町に、特殊清掃・遺品整理などをおこなうグッドベア株式会社という企業がある。ここの特殊技術はすばらしいものがある。代表をされている方もすばらしいお人柄で長くお付き合いをさせていただければと思っている。以前、その企業に遺品整理の研修に行ったことがある。
90歳代の母を、70歳代の娘が介護していた家庭だった。娘は誰にも助けを求めず、ただ一人で母の介護をおこなっていた。もちろん介護保険を使っての介護サービスなどは何も受けていなかったということであった。ここでひとつの悲劇が起きてしまった。
娘が自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまったのである。母は誰にも助けを求めることはできない。ましてや娘から介護を受けないと生きていけなかった体は一人ではどうすることも出来ない。母も誰に看取られるわけでもなく亡くなってしまった。
発見は近隣からの通報。なにかくさい臭いがするとの事で通報したのである。遺体は口が利けない。だから臭いを出し自分の存在をまわりに知らせるのだろう。
私は、悲しい現実があるその自宅の遺品整理に同行した。自宅の中は一言ではいい表せないほどすさまじかった。ゴミの山があり、大量の害虫がうろつき、床一面に使用してあるオムツが敷き詰められていた。
悲しい現実を受け止めながら一つひとつ片付けていった。
二人はなぜこのような形で生涯を終えないといけなかったのか。二人はなぜ助けを求めなかったのか。二人をなぜ助けることができなかったのか。二人はなぜ色々な制度を利用しなかったのか。それとも二人は知らなかったのか。
どこにどんな問題があったのか。悲しい現実である。
苦しいのであれば苦しいと声をあげてほしい、助けを求めているのであれば助けてと声をあげてほしい。
想庵はそのような声を決して無視しない企業を目指しています。自分の中だけで苦しまずいつでもご相談ください。
H27.10.17
左の記事は、以前読売新聞に載っていた記事である。我々の中には、家族の介護をやるのは当たり前。だから苦しくても他人に弱音を吐いたり、助けを求めたり、ましてや逃げ出すなんて出来ない。そう思っている人はたくさんいるだろう。
あるいは助けが欲しい、自分一人では生活もままならない。という人もたくさんいるだろう。
そのような現実を変えるために始まったはずの介護保険制度。
しかし、この記事のような気持ちを持った人は一向に減っていかない。しょうがないことなのか?諦めてしまった方が楽なのか?
「なんとかせにゃならん!」昔よく聞いていたセリフだがもう一度、たった一人で言うのではなくみんなで言い続けていきたいものだ。
想庵は、「老老介護の末の悲惨な現実」、「孤独死」。
このような現実を見てきた僧侶が、介護の現場からなんとかこの現実社会を変えたい一身で介護をやっています。
みなさん、決して一人で悩まず、我々にご相談ください。
H27.10.16
みなさんは、介護が必要になったとき、介護を受ける側になったとき、どのような流れを経て介護を受けることが出来るかご存知だろうか。ご存じない方は元気なときからしっかりと把握しておいた方がよいだろう。役場や、地域包括センターに相談に行けばいい。そこまではわかっているのかもしれない。しかし実際はその先が重要である。相談に言った後、言われるがまま指示されるがままに流れてしまっては意と違うようになりかねない。自分の意志も残し自分が望む形に近い状態で介護を受けるよう勧める。
また、介護を受ける上で、介護支援専門員と関わりを持つようになる。介護支援専門員もさまざまな方がいて正直相性もある。
自分に合った介護支援専門員にめぐり合えばよいのだが、そうでなければ意思疎通をとりづらいのは明白である。
介護の事業を私もやっているのだが、思うことがある。介護を受ける側は、介護支援専門員や私たちのような訪問介護事業者、あるいはさまざまな事業者を自分の意志で選んでいる人はどのくらいいるのだろうか?もちろん介護を受ける料金や、サービス内容、さまざまな規定にいたるまで国の制度の中で決められている。そのためどの事業所も同じようなサービスを同じ料金で提供しているので自分で事業所を選ばなくてもよいシステムになっているのかもしれない。しかしそのような現実から事業所本位の形になっているのではないか。またそのような現実が企業努力を生み出していないのではないか。介護を受けるようになりたいのであれば、まず制度のこと、受けることができるようになるまでの流れのこと、そして実際関わりをもつようになる事業所のことを事前に調べるようにしてほしい。そうすることで利用者も安定した安心した日々を過ごすことが出来るようになり、また事業所側も選ばれる事業所を目指し企業努力に励むようになるのではないか。
想庵では、どのようにすれば介護を受けることができるのか、流れをしっかりお教えいたします。また介護支援専門員もご紹介させていただいておりますので介護認定を受けたい方、介護サービスを受けたい方はご相談いただければと思います。